アニミズムと日本アニメ!海外で人気の理由はココにあった
老若男女問わず愛されるアニメ。「好きなアニメは何?」と聞かれたら、すぐにいくつかお気に入りのアニメが思い浮かぶのではないでしょうか。
日本のアニメは私たちだけでなく、海外でも人気を席捲しています。その人気の根底に、実は日本ならではの「アニミズム」が関係していると言ったら驚くでしょうか。
「アニミズム」とは、生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているとする考え方のことです。アニメにどうつながっていくのでしょうか。
今回は、有名な日本アニメの根底に流れるアニミズムについて解説していきます。
普段当たり前に見ていたアニメに、日本ならではの感覚が溶け込んでいることを再発見できると思います。
「自然が師」アニミズムを体現する舞はこちら
アニミズムと日本アニメ
- 日本アニメとアニミズムの関係
についてまずは整理し、
- 日本アニメの根底に流れるエッセンス
- それが海外でどう受け入れられるのか
という観点から解説していきます。
それではさっそくみていきましょう。
世界に誇れる日本アニメの根底
まずは、日本アニメとアニミズムの関係性について整理していきます。
アニミズムとは
- 生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っている
という考え方です。
また、そのアニミズムの考え方から、日本には昔から
- 万物に神が宿るとされる「八百万の神」
の信仰があります。
この2つの考え方から
- 人間以外のキャラクターにも、人間と同等な思い入れを持って感情移入することができる
- 日本独特のキャラクター設定や作品の世界観が出せる
と、考えられます。とりわけ、ロボットへのイメージは、諸外国とは一線を画しているように思います。
後ほど詳しく説明しますが、日本には、ドラえもんや鉄腕アトムなどのロボットアニメが、昔から定着しています。そして、ロボットであるドラえもんやアトムは、私たちの身近な存在として描かれます。
しかし、アメリカなどの海外では、ロボットはターミネーターなど、人間の存在を脅かす悪の存在として取り上げられているのです。ロボットが人間に近づきすぎることは、神の領域を犯すことだと、越えてはいけない絶対的な一線があるのです。
以下は、日本人と西洋人のロボットに対する考え方の違いを、アニミズムの影響から分析する動画です。
確かに、ドラえもんやアトムに敵対する感覚は、日本人にはないでしょう。
それでは、次に日本のアニメ市場がどの程度か、確認してみます。
2018年の日本のアニメ産業の市場規模は、6年連続最高値を更新し、2兆1814億円となりました。
そのうち、初めて海外市場での売上が1兆円を超えたとされています。海外での映画上映やゲーム販売なども含まれますが、なんと約半分程度が海外展開の売上げなのです。
「アニメ」といったら世界では「日本のアニメ」のことを指します。このように、日本アニメは海外でも絶大な人気を誇っています。
なぜ、日本のアニメはこのように人気を博しているのでしょうか。その理由は数多くあると思いますが
- 今まで子供向けと思われていたアニメが、大人も楽しめるクオリティであること
- ストーリーやテーマ、ジャンルの多様性・複雑さがあること
- 子供から大人、男性・女性と幅広く楽しめるコンテンツになっていること
- 何にでも心が宿る(アニミズム的な考え)という価値観が、面白みを持って受入れられること
などが考えられます。
日本のポップカルチャーがどのように米国に受け入れられていったかを、主にポケモンを取り上げて記された「菊とポケモン」(2010年)という著書があります。
米国の文化人類学者が書いた本ですが、その中で「テクノ―アニミズム」という考え方が提唱されています。その本の要約によると
日本のポップカルチャーの大きな特徴は
- 現実世界と異世界が複雑に絡み合い相互に行き来しあっていること
- そのモノの形がいったん崩され、新たにハイブリットなものとして組み立て直されている点
であり、日本のアニミズム的な感性がポストモダン的なものを作り上げ、そこでテクノロジーが大きな役割を担っている。
…日本のもつこの独特な美学を「テクノ―アニミズム」と呼ぶ。ポケモンは人工的に作られたものだが、その「虚構性」や「非現実感」は、伝統的な妖怪や精霊とあまり変わらない。
…このような日本人の世界観は、人間が世界の中心的存在であり、生と死がより明確に区別されているとする西欧に共通する世界観とは大きく異なっている。
と述べられています。
アメリカ人である著者は、日本のポップカルチャー(からつくられたキャラクター)を
- 「虚構性」や「非現実性」が伝統的な妖怪や精霊と変わらない
ことや、西欧的な価値観である
- 人間が世界の中心的存在であること
- 生と死が明確に区別されている
と大きく異なっていると指摘しています。
著者の指摘は、そのまま日本アニメが受け入れられる背景とも言えそうです。
日本のアニメは「センス・オブ・ワンダー」を与える
センス・オブ・ワンダーとは、一定の対象(SF作品、自然等)に触れることで受ける、ある種の不思議な感動または不思議な心理的感覚を表現する概念のことです。
日本アニメが西欧の
- 人間が世界の中心的存在であること
- 生と死が明確に区別されている
とは違い
- 人間が必ずしも中心の世界観ではないこと
- 虚構・非現実、あるいは生と死の区別が曖昧であること
などが海外では「センス・オブ・ワンダー(ある種の不思議な感覚・感動)」として受け入れられているようです。
となりのトトロでは、トトロという謎のいきものが愛され、さつきやメイを守ってくれる存在として描かれます。
ドラえもんでは、ロボットであるドラえもんが、家族の一員として受け入れられ、ダメ主人公ののび太くんを励まし、しかり、助け寄り添う存在として描かれます。
鉄腕アトムでは、ロボットであるアトムが、人間と同じ学校に通うようになり、人間と同じように複雑な感情を持ちたいと葛藤するシーンがあります。ロボットも人間と同じように悩み、迷うのです。
アメリカのアニメでも、ミッキーマウスや、トムとジェリーなど、動物が活躍するアニメはありますが、人間と同じ目線で、人間と並存してそれらのキャラクターが活躍する世界観ではないように思います。
ちなみに、「センス・オブ・ワンダー」は、「沈黙の春」(1962年)という科学薬品による環境問題にいち早く警鐘を鳴らした書の著者として有名な、レイチェル・カーソンによるエッセイの題名にもなっています。以下は、その本の紹介文です。
本書で描かれているのは、レイチェルが毎年、夏の数か月を過ごしたメーン州の海岸と森である。
その美しい海岸と森を、彼女は彼女の姪の息子である幼いロジャーと探索し、雨を吸い込んだ地衣類の感触を楽しみ、星空を眺め、鳥の声や風の音に耳をすませた。
その情景とそれら自然にふれたロジャーの反応を、詩情豊かな筆致でつづっている。鳥の渡りや潮の満ち干、春を待つ固いつぼみが持つ美と神秘、そして、自然が繰り返すリフレインが、いかに私たちを癒してくれるのかを、レイチェルは静かにやさしく語りかけている。
そして、レイチェルが最も伝えたかったのは、すべての子どもが生まれながらに持っている「センス・オブ・ワンダー」、つまり「神秘さや不思議さに目を見はる感性」を、いつまでも失わないでほしいという願いだった。
「センス・オブ・ワンダー」が彼女のいう「神秘さや不思議さに目を見はる感性」だとしたら、この感性が随所にちりばめられる日本アニメの代表格は、宮崎アニメと言えるでしょう。
特にとなりのトトロは、日本の原風景ともいえる森や自然が描かれており、あらゆるところに神が宿る(あらゆるものに心が宿る)とする感性が、トトロだけでなく、まっくろくろすけやネコバスなどの愛すべきキャラクターを生み出しています。
また、2016年に公開され大ヒットとなった新海誠監督の「君の名は」もセンス・オブ・ワンダーに溢れた作品と言えます。空や雲、山や自然、そして都会の風景でさえ緻密に描き、そのものの美しさを丁寧に伝えています。あの作品は、生と死の区別が曖昧であることも、作品の魅力を一層のものにしています。
まとめると、センス・オブ・ワンダーとは
- ある種の不思議な感覚・感動
- 神秘さや不思議さに目を見はる感性
のことであり、日本アニメには古来のアニミズムの感覚により
- 人間が中心の世界観だけでなく、人間以外のキャラクターに対等な感情を抱く
- ありとあらゆるモチーフにアンテナをはる
ことができるのかもしれません。
それでは、続いて、具体的な作品の中にあるアニミズムについてみていくことにしましょう。
「自然が師」アニミズムを体現する舞はこちら
日本のアニミズム的アニメ
ここでは、
- 宮崎アニメ(スタジオ・ジブリ)
- ドラえもん
- 鉄腕アトム
- ゴジラ
を紹介します。では、みていきましょう。
宮崎アニメ(スタジオ・ジブリ)
ジブリの作品には、アニミズムの要素が多分に含まれています。何作品か取り上げ、解説します。
≪となりのトトロ≫
- トトロの住処はご神木
トトロが住んでいるのは、大きなご神木です。ご神木とはしめ縄が巻かれた、神が宿るための対象物とされているものです。トトロは森の主として、木や森を見守り、めいやさつきのことも見守っています。
- トトロは子供にしか見えない
トトロを見ることができるのは、子供だけです。神秘さや不思議さに目を見はる感性を持つ、子供だけに許された特権なのです。
- ネコバス・まっくろくろすけなどのキャラクター
まっくろくろすけは家の中のススですし、ネコバスは文字通りネコです。それらにも、いきいきとした魂が宿っています。
≪もののけ姫≫
- アシタカはエミシの一族
エミシ(蝦夷)は東北地方で自然崇拝のアニミズムを信仰する絶滅寸前の部族。アシタカはこの部族の末裔であるとされます。
- シシガミ・山犬神・猪神・タタリ神
森に住む生き物の、様々な種類の神が登場します。
- シシガミの森
神が宿る、人の手が及んでいない原生林。シシガミの死んだ森は、神々への畏怖がある原生林とは違う、人の手が入った里山となってしまう。
- コダマ
森の精霊として登場します。
畏怖する対象としての自然(と神)と、人間との対立・共存を描いた、壮大なスケールの映画です。
≪千と千尋の神隠し≫
- 八百万の神々
千尋が働く湯屋には、様々な神様が体を癒しに集う
- トンネルの向こうは死後の世界?
千尋が渡った川の向こうが、彼岸であり、神々が集う世界という考え方もあります。
このように、宮崎アニメでは、少し列挙しただけでも、神々との結びつきの強いストーリーが展開されているのです。
ドラえもん
ドラえもんは、22世紀の未来からやってきたネコ型ロボットです。
四次元ポケットから便利な道具をたくさん出すなど、未来の道具を使って、生活をちょっとよくしてくれます。劇的に変えるのではなく、主題歌同様「こんなこと、出来たらいいな」というかわいい変化が、22世紀という少し先の未来を想像させます。
ドラえもんはロボットですが、野比家のみんなと普通に食卓を囲み、ご飯も一緒に食べます。ロボットとして特殊な能力は持ち合わせますが、家族の一員として、愛されているのです。
人間に寄り添うロボットの代表と言えるでしょう。
鉄腕アトム
『鉄腕アトム』はご存じ手塚治虫原作のSF漫画です。1963年に、週1回放送の1話30分連続アニメ番組『鉄腕アトム』が始まりました。日本最初の本格的テレビアニメです。
アトムは、天馬博士に自分の死んだ子供の身代わりに作られました。しかし、人間のように成長せず、最終的にサーカスに売られます。それをお茶の水博士が引き取り、ロボットの家族を与え、人間と同じように学校に通わせます。
この時代には、ロボットに人権を与える法律が制定されます。法律ができたばかりの世界で、ロボットはまだ格下の存在とみなされ、「ロボットのくせに」とあしらわれてしまいます。しかしアトムは、いつも純粋に人間を助けようとします。
人間と関わることで、アトムも「感情」を学びます。アトムは、自分が人間と違うことに悩み、葛藤します。この心の機微がなんとも人間らしいのです。
人間と、科学技術がいかにうまく付き合っていけるか、そのメタファーとして、人間とアトムの関係が描かれます。
ゴジラ
ゴジラは1954年に公開された映画です。ゴジラは、元々海の怪物ですが、水爆実験により安住の地を奪われ、地上を荒らしているという設定です。
これは、映画公開の同年に起こった、ビキニ環礁でアメリカ軍の水爆実験により被爆した第5福竜丸の事件に着想を得ています。
ゴジラはその後もいくつかのシリーズがありますが、それぞれのシリーズで
- 人々を恐怖に貶めるものの象徴
として描かれているようです。背負うモチーフは、その時代時代で
- 原子力
- 天災で
- 死者の怨念
など変容します。
日本におけるゴジラは
- 自分の意志に関係なく、人間のせいで化け物にされた、哀愁をもった怪獣
として描かれます。万物が人間と同じような精神性を持つとするアニミズム的な発想が、ゴジラを誕生させたともいえるでしょう。
【まとめ】アニミズムと日本アニメ
これまでみてきた、アニミズムと日本アニメについて、もう一度振り返ります。
アニミズムと日本アニメ
アニミズムの考え方による日本アニメの特徴として
- 人間以外のキャラクターにも、人間と同等な思い入れを持って感情移入することができる
- 日本独特のキャラクター設定や作品の世界観が出せる
が挙げられます。
西洋の価値観と比較して
- 人間が必ずしも中心の世界観ではないこと
- 虚構・非現実、あるいは生と死の区別が曖昧であること
な点なども特徴です。そしてそれらは「センス・オブ・ワンダー」という
- ある種の不思議な感覚・感動
- 神秘さや不思議さに目を見はる感性
としてとらえられます。
日本のアニミズム的アニメ
- 宮崎アニメ(スタジオジブリ)
- ドラえもん
- 鉄腕アトム
- ゴジラ《特撮もの》
などにアニミズムの特徴がみられます。
アニミズムとは、難しい言葉に聞こえるかもしれませんが、私たちが普段からキャラクターに対して、人間と同じように心を通わせる感覚に他なりません。
日本のアニメが発展を遂げたのも、私たちのこの当たり前の感覚が根底にあったからかもしれません。
「自然が師」アニミズムを体現する舞はこちら