日本のアニミズムとは?八百万の神やアイヌ民族を例に簡単解説
アニミズムとは
- 生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っている
とする考え方です。分かりやすくいうと
- 私たちが神様を信じたり、仏様を拝んだりする、この「何かを信じる」という信仰心の源である
とも言えます。
このアニミズム、神道や八百万の神など、私たち日本人には馴染みのある考え方かと思います。では、日本人はよく「無宗教だ」と言われますが、本当にそうでしょうか?
今回は、日本におけるアニミズムに焦点を当て、具体例を通じてご紹介していきたいと思います。
「そうか、これもアニミズムの一種なのだな」と、読み終えた頃にはアニミズムを身近なものとして感じていると思います。
「自然が師」アニミズムを体現する舞はこちら
日本におけるアニミズムとは?
まずは、日本におけるアニミズムについて
- 八百万の神
- アイヌ民族の信仰
この2つの視点から整理したいと思います。
「八百万の神」としての定着
日本には、周りを取り囲むありとあらゆるものに神が宿るという考え方が、違和感なく定着しています。
山の神、海の神、川の神、家の神、、、具体例はきりがありません。
八百万の神という言い方は、「数がたくさんの」という意味です。数字の八には「たくさんの」という意味が込められるのです。
日本大百科全書によると、八百万神は以下のようにまとめられています。
- 神道(しんとう)で数多くの神々の存在を総称していうもので、実際の数を表すものではない
- 文献上の初見は『古事記』上巻の「天(あま)の岩戸」の段にある「八百万神、天(あめ)の安(やす)の河原に神集(かむつど)ひ集ひて」
- このほかに同様の総称として八十諸神(やそもろかみたち)、八十万神、八十万群神(もろがみ)などが『日本書紀』『万葉集』などにみえる
- いずれも「八」が多数を意味し、本居宣長(もとおりのりなが)は『古事記伝』で「八百万は、数の多き至極を云(いへ)り」と述べている
引用:八百万神
このように、八百万の神という考え方はずっと昔から存在しています。
特に、日本最古の歴史書と言われている「古事記」で、すでに八百万の神という考え方が現れています。これはいつ頃の書物かというと、その序によれば712年に編纂されたと言われます(正確なことは判明していません)。
神代(かみよ、じんだい)における天地の始まりから推古天皇の時代に至るまでの様々な出来事(神話や伝説などを含む)が記載された書物です。神代(かみよ、じんだい)は、日本神話における時代区分のこと。いつごろの話かというと、歴史学的には、弥生時代後期のことと言われているようです。
参照:神代とはいつの時代か
まとめると
- 「古事記」という神話や伝説も含むとされる日本最古の歴史書に既に「八百万神」の記述がある
- 「古事記」が書かれたのは8世紀頃、「古事記」に書かれている時代は弥生時代後期以降か?
この頃には、アニミズム的な考え方である「八百万神」という概念が既にあったと考えられます。
続いて、八百万の神とはまた違う形で独自にアニミズムを形成しているのが「アイヌ民族」です。
アイヌ民族の信仰
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アイヌの信仰に入る前に、まずはアイヌ民族がどういった人々のことか、簡単におさらいしましょう。
アイヌは
- もともと北海道のみならず、北は概ね北緯50度線付近より南の樺太、東は千島列島、(また北海道、および)南は本州にまたがる地域に居住
- 現在は日本とロシアに居住する少数民族
- 元来は狩猟採集民族で、物々交換による交易をおこなっていた
- 生業から得られる毛皮や海産物などを、米などの食料、漆器、木綿、鉄器などと交換していた
- 織物や服装にも独特の文様を入れる
といった民族です。
参照:wikipedia
元々アイヌ民族が独自の文化を築いていたところを、19世紀に国々が戦争により領土争いをするようになりました。日本とロシアがそれぞれ領土を開拓したことで、アイヌの人々の土地が侵略されていったという悲しい歴史があります。
ちなみに、南樺太と千島列島は、日本とロシアの間で戦後の平和条約が未締結であり、どちらの所属かはっきりしていません。
寒い地域に住む彼らは、狩りを得意とし、動物の皮で作った服を防寒着として着ていました。極寒の厳しい地で、自然の大切さ・自然との共存というのが彼らの大事なテーマであったと想像されます。
アイヌの人々の宗教観はアニミズムであり
- 動植物、生活道具、自然現象、疫病などにそれぞれ「ラマッ」と呼ばれる魂が宿っている
- 自然界の全てのものに心がある
と考えています。
そして、その中でも
- 「カムイ」と呼ばれる、「自然」を示す高位な霊的存在
を重要視しています。
元々「アイヌ」も、「カムイ」が「自然」を現すことに対比し、「人間」という意味であったとされています。
ちなみに、シシャモ、ラッコ、トナカイはアイヌ語からきています。女性向け雑誌『non-no』もアイヌ語で「花」という意味です。私たちの身近な言葉が、実はアイヌ語なんですね。
彼らは、「イオマンテ」と呼ばれる儀式を大事にしました。どういった儀式かというと
- ヒグマを殺し、肉や毛皮などをギフトとして受け取り、その魂であるカムイを天界に送り返す
というものです。
冬の終わりに、まだ穴で冬眠しているヒグマを狩る猟を行う。冬ごもりの間に生まれた小熊がいた場合、母熊は殺すが(中略)、小熊は集落に連れ帰って育てる。最初は、人間の子供と同じように家の中で育て、赤ん坊と同様に母乳をやることもあったという。大きくなってくると屋外の丸太で組んだ檻に移すが、やはり上等の食事を与える。1年か2年ほど育てた後に、集落をあげての盛大な送り儀礼を行い、丸太の間で首を挟んでヒグマを屠殺し、解体してその肉を人々にふるまう。
引用:wikipedia
一見、残酷な儀式に見えますが、宗教的には彼らなりの理由があります。
- ヒグマの姿を借りて、カムイが人間界にやってきている
- その為、一定期間大切にもてなした後、神々の世界にお帰りいただく必要がある
- ヒグマを殺して得られた肉や毛皮=もてなしの礼とするカムイの置き土産
- 地上で大切にされると、またカムイは人間界に土産を携えヒグマとしてやってくる
と考えられているのです。カムイという媒介による、輪廻転生の考え方にも見えます。過酷な自然の中、豊猟を祈る気持ちも、大いにあるのだと思います。
余談になりますが、「ゴールデンカムイ」という、明治末期の北海道・樺太を舞台にした、金塊をめぐるサバイバルバトル漫画があります。
ストーリーは割愛しますが、衣装、生活文化、精神性など、アイヌ文化が文献や資料にもとづきよく調べられていると注目されている漫画です。私も少し読みましたが、リス、カワウソ、うさぎの食べ方・味の違いなど漫画らしく面白おかしく伝えています。
ビジュアルで入ってくるので、アイヌの民族に非常に親しみが沸きます。「イオマンテ」の儀式も漫画の中で出てきます。いかに彼らが自然に密着し、自然を尊重していたかがよく分かります。
サバイバルバトル漫画なので、基本筋は少しグロテスクですが、アイヌ文化を身近に感じるには、とてもいい漫画だと思います。興味のある方はぜひのぞき見してみて下さい。
「自然が師」アニミズムを体現する舞はこちら
さて、ここまで「八百万神」と「アイヌ民族」の2つの信仰についてみていきました。どちらも日本に昔から深く根付いているものです。
では、より具体的に日本におけるアニミズムについてみるために、具体的な例を挙げながら説明していきます。
日本におけるアニミズムの例
日常の中にあるアニミズムとして、次のものが挙げられます。
- 魚霊
- 針霊
- 神木
- 磐座
どこかで見たことあるな、と感じられるものもあると思います。さっそくみていきましょう。
魚霊
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まずは、魚霊についてみていきます。文字通り
- 海の生き物の恵みにへの感謝
- 命をいただいていることに対する供養
- 漁の安全祈願
の意味も含め、魚の霊を弔う風習があります。日本各地にはその為の「魚霊塔」や「魚霊碑」があります。海に囲まれ、密接に漁業と関わってきた、日本ならではの光景と言えるかもしれません。
各地の魚霊塔・魚霊碑を紹介したサイト「漁業関連の動物慰霊碑」を参考までにご紹介しておきます。漁協やお寺さん、港や卸市場の近くなどにあるようです。
針霊
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針供養という、折れたり、曲がったり、錆びたりして使えなくなった縫い針を、神社に奉納する習わしがあります。
なぜ縫い針?と思うかもしれませんが、昔は各家で針仕事をすることが当たり前だったからです。おそらく、平安時代ごろからあった風習と言われています。
- 日々使っているものに対する感謝
- 針仕事が上手になるようにとの願掛け
のため行っているのでしょう。
写真のように、豆腐や蒟蒻などのやわらかいものに針を指して供養します。一層、針に対して「休んで下さい」という労いを感じますね。
ちなみに大まかに言うと針供養は
- 東日本では2月8日
- 西日本では12月8日
に行われます。
これは、この両日が「事八日(ことようか)」といい、様々な行事が行われる日だからです。
この日は、事を始めたり納めたるする大事な日になります。
神様にとっては
- 12月8日が年越しの神事が始まる正月行事の「事始め」
- 2月8日がそれらの後片付けがすべて終わる「事納め」
一方、人間にとって
- 2月8日が農作業で1年の営みが始まる「事始め」
- 12月8日が「事納め」
とする解釈があるようです。
始めと終わりが、人間と神様で逆になるという解釈も面白いですね。
針供養が行われている寺社がこちらです。
- 法輪寺
- 浅草寺 – 針供養会
- 若宮八幡神社
- 荏柄天神社
- 護國山太平寺
- 警固神社(福岡市)
引用:wikipedia
もし、使えなくなった針が家に眠っているようであれば、供養してあげるのもいいかもしれません。
次に、神木(しんぼく)についてみていきます。
神木(しんぼく)
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神木は、神社などで目にすることも多いと思います。写真のように、注連縄(しめなわ)で囲まれた「樹齢〇〇年」のような立派な神が宿るとされる木のことです。注連縄は、現世と神様のエリアを分けるものと言われます。「ここに神が宿ります」というしるしのようなものだと考えるといいでしょう。
昔は、神社等があったわけではなく、依り代(よりしろ)と言われる神が依り憑く対象物が必要でした。そこで
- 「木」
- 「石」
などが対象として選ばれていたのです。
- 神社に神木がある
のではなく
- 神木がある場所が後に神社となっていった
のです。
このように、臨時で神を迎える為の依り代となるものを、神籬(ひもろぎ)と言います。神を祀る施設が特にあった訳ではない古来の時代の、日本人の神に対する信仰の形が表れていると言えます。
私たちの身近でいうと
- 神木
- 磐座(いわくら)
- 家を建てるときに行われる「地鎮祭」
などがそれにあたります。
地鎮祭は、家を建て始める前に、その土地の神様に土地を利用させてもらうことに許しを得る儀式です。工事の安全を守ること、今後の家の繁栄などの思いも込められます。大榊(おおさかき)に御幣・木綿などをつけたものを神籬(ひもろぎ)とし、そこに神を呼ぶのです。
続いて、磐座(いわくら)についてみていきます。
磐座(いわくら)
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磐座(いわくら、磐倉/岩倉)とは、
- 岩に対する信仰のこと
- 信仰の対象となる岩そのもののこと
を言います。
先ほども少し述べましたが、神社等ができるずっとずっと前に、神が依りつく対象物・神が降臨する場所として、「木」や「石」が選ばれました。
- 木の場合は「ご神木」
- 石の場合は「磐座」
として、その信仰を今に残しているのです。
【まとめ】日本におけるアニミズムとは?
それでは、これまで見てきた日本におけるアニミズムについて、もう一度おさらいします。
日本におけるアニミズムとは?
- 「八百万神」としての定着、弥生時代(8世紀)の頃に書かれた日本最古の書籍「古事記」にはすでに描かれていた
- アイヌ民族は独自の信仰によってアニミズム観を形成
日本におけるアニミズムの例
- 魚霊
- 針霊
- 神木
- 磐座(いわくら)
具体的なアニミズムの例を見ていくことで、理解がより深まったのではないでしょうか。
アニミズムという言葉のひびきからは、自分とは違う先住民族の方が信仰する宗教、と考えるかもしれませんがそれは違います。物を粗末に扱ったら、命を無駄にしたらいけない、こんな私たちの持つ根源的な感覚こそがアニミズムと言えるのではないでしょうか。
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