神社にある舞殿とは?見学するならココの舞殿がおすすめ
神社には鳥居や礼拝をする本殿の他に様々な建築物を見ることができます。そのそれぞれに役割や、目的があり、歴史を作っているのです。
ここでは、そんな神社にある建築物のひとつ「舞殿(まいどの・ぶでん)」ついてご紹介いたします。
神社の中でもひときわ華やかさを持つ「舞殿」とはどのような目的で建てられたものなのでしょうか。
その意味を知ることで神社の歴史の一端に触れることができると思います。
全国の神社の舞殿で奉納している舞はこちら。
舞殿とは?
舞殿は、舞楽を行うことを目的として神社の境内に建てられた建物です。
祭礼のひとつである神楽が披露されることが多いことから、「神楽殿(かぐらでん)」と呼ばれることもあります。また参拝を行う「拝殿(はいでん)」を兼ねている神社もあるようです。
一般的には入り口(鳥居や門)と本殿(参拝を行う建物)の間に建てられ、境内の中心となることが多く、舞楽を披露することが目的のため、建築様式としては壁は少なく、舞台に柱と屋根がついた形がよく見られます。
神社にとっての劇場舞台といった用途と考えて良いでしょう。
では、実際にどんなものなのか。有名な神社の舞殿は次の通りです。
有名な神社の舞殿
「鶴岡八幡宮(つるおかはちまんぐう)」(神奈川県)
建久2年(1191年)に源頼朝公が鎌倉幕府の宗社としてお祀りし、当時の鎌倉の街の中心となった神社です。鎌倉武士の心の拠り所として、流鏑馬(やぶさめ)や相撲、舞楽と言った神事が多く行われていました。
こちらの舞殿は養和元年(1181年)に源頼朝公が建てた若宮回廊跡に建てられ、「下拝殿(しもはいでん)」とも呼ばれています。
こちらの舞殿にまつわる話として、源義経と静御前の恋物語が有名です。
静御前はこちらで鎌倉幕府の栄華を祝う席で、義経を慕う歌
- 吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
(吉野山の峰の白雪をふみわけて、山深くお入りになった義経様の跡が恋しい)
- しづやしず しづのをだまき くりかえし 昔を今に なすよしもがな
(糸を繰り返し巻いてできる苧環(おだまき)のように、時をも繰り返して華やかであった昔と悲しい今を変えることができれば良いのに)
と詠い、舞ったのです。源頼朝に激怒されましたが、このような命がけの恋の話を想いながら眺めてみるのもいいかもしれません。
こちらでは神前結婚式を行うこともできます。
「越後一宮彌彦神社(えちごいちぐういやひこじんじゃ)」(新潟県)
2400年の歴史があり、越後開拓の祖神である「天香山命(あめのかごやまのみこと)」が御祭神となる彌彦神社。
越後平野の中心、弥彦山の麓にあり、鬱蒼とした樹林に覆われた40000坪に及ぶ境内、その中心に舞殿があります。楽舎と橋掛かりで連結された珍しい舞殿です。
こちらでは年に一度、4月18日に妻戸大神例祭(つまどおおかみれいさい)が行われ、大々神楽(だいだいかぐら)が全13曲奉奏されます。
万葉集に
- 「伊夜比古 おのれ神さび 青雲の たなびく日すら 小雨そぼ降る」
- 「伊夜比古 神の麓に 今日らもか 鹿の伏すらむ皮衣きて 角つきながら」
と詠まれており、緑豊かな情緒ある神社となっています。
「蟻通神社(ありとおしじんじゃ)」(大阪府)
創建は弥生時代中期、紀元93年に五穀豊穣、国土開発を願い祀られました。
紀貫之ゆかりの神社で、その昔、紀貫之が紀の国から引き上げる際に、蟻通神社の神域にうっかり騎馬のまま乗り込んでしまったため、馬が死んでしまう神罰を受けてしまいます。
この時紀貫之は
「かきくもり あやめもしらぬ おほそらに ありとほしをば おもふべしやは」
という2重意味の歌を詠み、神に謝罪して許しを得るのです。
こちらの舞殿は5・8メートル四方の方一間で吹放し形式の建物で、銅板葺、柱と頭貫を持送で固めて床高は低めになっており、棹縁天井が張られています。
現在も神事のほか、能や狂言など古典芸能の発表などにも使用されています。
この投稿をInstagramで見る
「神部神社浅間神社(かんべじんじゃあさまじんじゃ)」(静岡県)
神部神社、浅間神社、大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)の3社を総称し、「静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)」と呼ばれます。
最も古い神部神社は、崇神天皇の御宇(約2100年前)の鎮座と言われています。
こちらの舞殿は文化元年(1804年)から始まった一連の事業で他の社殿24棟とともに建築されました。
文政3年(1820年)に竣工し、社殿の中では唯一の素木造となっていて、桁行2間、梁行3間の入母屋造で、本瓦形銅板葺の建物になっています。
「三嶋神社(みしまじんじゃ)」(静岡県)
三嶋とは伊豆諸島を指すと言われ、御祭神は伊豆諸島の開拓神である「大山祇命(おおやまつみのみこと)」です。
舞殿は本殿と同時期の慶応2年(1866年)に再建されたものです。元は「祓殿」と呼ばれる建物でしたが、舞の奉納が主となったことから「舞殿」と呼ばれるようになりました。
本殿や神門と同じく、伊豆の名工「小沢半兵衛・希道」父子により、精緻な彫刻が施されています。
これは中国、元代の「郭居敬(かくきょへい)」による「二十四孝」を基にした彫刻となっています。
現在も神事に使われ、神楽舞も行われています。
「八坂神社(やさかじんじゃ)」(京都府)
元々は「感神院」または「祇園社」と呼ばれていたものが、慶応4年(1868年)に改称され八坂神社となりました。
「十三座」と言われる13の御祭神が祀られており、その中でも「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」が有名です。
7月に行われる「祇園祭」は1ヶ月の間行われる1100年の伝統を持つ祭礼です。
こちらでは「石見神楽(いわみかぐら)」という神楽舞を観ることができます。御祭神である素戔嗚尊の神話にあるヤマタノオロチ退治が元の舞で芸能色の強い見応えのある舞となっています。
こちらの舞殿は、花街の置屋や料亭などから奉納された提灯が吊るされ、毎夜、明かりが灯されます。
神前結婚式も行われ、ナイトウエディングでは提灯の明かりの中、幻想的な式を行うことができます。
舞殿のない神社
全国には神社が88,000社あり、うち、神職者が常駐している有人神社は20,000社と言われています。大小様々な神社があり、必ず舞殿があるとは限りません。
参拝を行う本殿は神社の顔と言っても良いのでしょうが、使用目的にみる舞殿もまた、神社の歴史を知るうえで欠かせないものでしょう。参拝や観光で神社を訪れた際、舞殿のある神社ならばぜひ見ていかれることをおすすめします。
【まとめ】神社にある舞殿とは
では、最後にまとめていきます。
舞殿とは?
- 舞楽を行うために建てられたもの
- 神楽舞が行われることが多いことから「神楽殿」と呼ばれることもある。
- 入り口(鳥居、門)と本殿の間に建てられ、境内の中心にあることが多い。
- 現在では、神前結婚式などの行事も行われている。
参拝やご祈祷を行う神社の中で、違う趣を持つ舞殿ですが、その歴史は古く、神道の祭礼には欠かせないものなのです。それぞれの神社によって由来や言い伝えが残り、現在でも同じ目的で使用され続けていることもまた叙情的になれる所以ではないでしょうか。
神社に訪れた際は、ひとつひとつの建築物の意味や伝承なども調べてみるのも楽しめると思いますよ。
全国の神社の舞殿で奉納している舞はこちら。