媽祖とは?媽祖の別名や生涯、その伝説までを徹底解説
みなさんは、媽祖(マソ)って言葉を聞いたことはありますか?聞き慣れない言葉ですよね。
実は、中国などに伝わる『航海の女神』のことなんです。
どんな人物か、気になりますね。今回は『媽祖』について、詳しく調べていこうと思います。
媽祖(マソ)について
まずは、媽祖がどのような人物か、順を追って説明します。
媽祖とは?
媽祖とは、航海の安全を守る女神として伝わる中国土着の神です。
中国だけでなく、台湾や香港など、東アジアで盛んに信仰されている航海の女神です。元々は、海難事故から、多くの人々を救ったと信じられている、1人の巫女がモデルになっています。
媽祖の別名
媽祖にまつわるエピソードは各地に様々伝わっており、次のように色んな名前がついています。
- 天上聖菩薩(てんじょうせいぼさつ)
- 天妃(てんひ)
- 天后聖母(てんこうせいぼ)
- 老媽(ろうま)
- 菩薩(ぼさ)
いろんな呼び方がありますね。
では、どのように信仰が始まったのでしょうか。
媽祖の信仰の始まり
媽祖のモデルとなった少女は、10世紀後半の中国福建省の莆田市(ほでんし)で生まれました。その少女の名前が媽祖です。媽祖は、無口でしたが非常に賢く、仏教や道教の経典を熟読する勤勉で、模範的な女性であったと伝えられています。
信仰が起こったのは、宋代と言われています。明代に中国貿易の発展に伴い、東アジアに信仰は広がっていきます。沖縄、長崎、ジャカルタ、シンガポール、バンコクなど東シナ海全域で信仰されています。
この少女、どのような人物だったのでしょうか。
媽祖の生涯
媽祖は、莆田市(ほでんし)の名士・林氏の娘として生まれたと言われていますが、真偽は分かっていません。色々な逸話が伝説として残っています。
ただ、一貫しているのは
- この地で生まれた
- 非常に特殊な能力を持っていた
- 海難から人々を救った
ということであり、そのため巫女として今も尚、信仰の対象となっているのです。
海難事故から多くの人を救ったと信じられている媽祖は、死後も、海の旅を守ってくれたと祠に祀られるようになり、後世にも信仰が続いていくようになります。
それでは、そんな彼女の伝説についてみていきます。
媽祖の伝説
媽祖にはいろんな伝説があります。不思議な力で家族を海難から守ろうとする話が、様々な形で残っています。
まずはこんな逸話です。
ある日、媽祖が自宅で機を織っているときに、突然何かに取り憑かれたように目を閉じ、トランス状態におちいりました。そばにいた母親が慌てて揺り起こすと、媽祖の手からヒ(機を織るときに横に糸をすく部品)が落ちてしまいました。すると媽祖は急に泣き出しました。聞くと、父と兄の乗った船が難破しそうだったので助けようとしたが、兄の乗る船の舵を手放したので助けられなかったと告白したと言います。数日後、父親は帰ってきましたが、兄は嵐に巻き込まれて亡くなったことが分かりました。
同じような内容の、別のバージョンの伝説もあります。
媽祖が機織りに疲れてうたた寝している時に、夢を見ました。父と2人の兄が嵐に会った為、彼女はそれを救おうとしました。兄の乗る2艘のそれぞれを船を両手で持ち上げ、父親の乗る船は口でくわえ、安全な場所に運ぼうとしました。しかし、夢の中で母に呼ばれたため、うっかり返事をしてしまい、口にくわえた父の船を離してしまい、父親を救うことができなかったという話です。
媽祖は何かしらの、他の人にはない特殊な能力があったのでしょう。形は違えど、彼女の特殊な能力を示す逸話が、このようにたくさん残っているのです。
ここまで、媽祖がどのような人物であり、どのような逸話があるのかみてきました。続いて、媽祖が信仰されている世界各地の状況をみていきたいと思います。
媽祖と各地の関わり
ここでは、媽祖が信仰されている
- 中国大陸
- 香港・マカオ
- 台湾
- 日本
- ベトナム
についてそれぞれみていきます。
中国大陸
中国の媽祖信仰は、60年代から70年代にかけての文化大革命によって壊滅的な打撃を受けた後、元々信仰が篤かった地域ではしだいに復活しました。しかし、他の地域では文化大革命によって破壊された媽祖廟は博物館や記念館など、過去の信仰を展示する場所、に変わっていきました。
媽祖の総本山の媽祖廟は、後ほど述べる台湾からの進香にやってくる「香客」の存在に支えられるようになります。
香港、マカオ
香港・マカオでは文化大媽革命の影響をほとんど受けなかったこともあり、中国本土と違い、一般信仰が盛んです。各地に媽祖を祀った天后廟や、媽閣廟がありますが、中でも、香港の「赤柱(スタンレイ)」の天后廟、マカオの「媽閣廟」が有名で、観光名所となっています。
台湾
台湾では、媽祖への信仰がとても強いです。媽祖信仰の中には、日本の「お遍路」に似た「進香」という宗教行事があります。
進香は、祖廟とする神前から香炉の灰と火を分けてもらい子廟をつくり、その後定期的に祖廟をお参りし、新たな灰と火をいただくことで子廟の霊力を高めていく巡礼のことです。
この進香では、格の高い廟から香をいただくのが理想となります。そのため、媽祖の出身地の莆田にある廟には、船で「進香」に行く台湾の信者さんが多いのです。
日本
日本の長崎では、鎖国時代、清国とオランダだけが貿易を許されていました。そして「唐船」と言われる清国からの船には、必ず「媽祖像」が祀られていました。この媽祖像は、長崎に停泊中は船から降ろしお堂に安置され、出航の際にはまた船に戻されました。この堂に像が運ばれまた船に戻す様子は、長崎の「ランタンフェスティバル」で再現され、「媽祖行列」と呼ばれ親しまれています。
ベトナム
ベトナムは歴史的にも中華文明の影響が強く、華人も多く住んでいることから、媽祖は「天后(ティエンハウ)」の名で親しまれています。広東系移民の多いチョロン(現在のホーチミン市の一部)に有名な「ティエンハウ廟」も建てられています。
【まとめ】媽祖について
これまで、
- 媽祖とはどういう人物か
- 世界各地でどのような信仰があるか
をみてきました。
東アジア地域で『航海の女神』として、多くの船乗りを守ってきた媽祖。今なお人々にとって大切な存在となっているのでしょう。