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巫女の歴史を深堀り!政治・文化の中心的存在が現在の形に至るまで

巫女の歴史

神社に行くとその厳かな雰囲気の中にひときわ映える白衣に緋袴の女性を見る事ができます。

巫女は神社の祭礼の際には欠かせない存在ですが、巫女の起源とはどのようなものなのでしょうか。その歴史は日本最古の書物にある神話まで遡る事ができます。

ここでは巫女の始まりから現在の形になるまでの歴史とその種類についてご紹介していきます。

時代の移り変わりに合わせて変化していく巫女の歴史を知る事で神社、また神道の奥の深さを感じていただけると思いますよ。

 

元巫女による舞はこちら

巫女の歴史について

巫女は日本の神に仕える女性のことで、

  • 神子(みこ)
  • 舞姫
  • 御神子(みかんこ)

と呼ばれることもあります。

元々は神道祭祀において重要な存在でしたが、時代の経過に伴い、王権政治の中心的存在の巫女や地方で職業としての巫女まで様々な形で広がっていきました。

  • 現在の神社で奉職する「神社巫女」
  • 東北、恐山の「イタコ」
  • 沖縄地方の「ノロ」

などの総称が「巫女」となるのです。

この巫女がどのような歴史をたどっていったのか。古代から現代までみていきましょう。

古代~巫女の始まり~

巫女の始まりは「古事記」「日本書紀」に登場する神話の「天鈿女命(アメノウズメ)」と言われています。

アメノウズメは技芸の女神で天岩戸に籠もった太陽神「天照大神(アマテラス)」をその舞で岩戸の外に誘い出し、この世に太陽の光を取り戻しました。

その後、弥生時代に神霊や精霊をその体に憑依させ神託を伝えるシャーマンが現れます。これが巫女の起源となります。弥生時代に突然現れたというよりは縄文の頃からいたのかもしれませんが、記録上確認できるのはこの時代からということになります。弥生時代では女性が祭祀を司っていて、巫女の地位は高かったのです。邪馬台国の卑弥呼がその代表と言えるでしょう。彼女も神の憑依による神託を受ける巫女でした。

大和朝廷の時代に入り、政治の実権が男王に移ると巫女は政治の中心から排除されていくようになると、巫女の存在は神社での祭祀の補助者という役つけになっていきました。この頃から神の憑依や神託のお告げを行う巫女は減っていき、イタコ、ノロのような職業としての巫女が残るのみとなっていきます。

平安時代になると神社での祭祀に雅楽や神楽舞が奉納されるようになり、神楽舞の中で巫女が舞うようになります

藤原明衡(ふじわらのあきひら)は「新猿楽記」に巫女に必要な要素として、「占い・神遊・寄絃・口寄」を挙げていて、ここでの神遊が神楽にあたります。

中世~神楽舞の定着へ~

中世以降に入ると、神社での巫女による神楽の奉納が恒例となり、今の巫女の形に近づきます。

この頃は神楽の他にも獅子舞や曲独楽(きょくごま)なども行われるようになり、芸能としての神楽も広がっていった時期にも入ります。

この時期に有名な巫女は、現在の「歌舞伎」のもとを生み出した「出雲阿国(いずものおくに)」でしょう。彼女は出雲大社の巫女で勧進のために各地を遊行していた時に諸国で舞を披露し、この舞を遊女が真似をして演じるようになり、それが遊女歌舞伎と呼ばれるようになりました。

その後江戸時代になって、扇情的なことを理由に女性の歌舞伎が禁止され、男が女性も演じる野郎歌舞伎へと変化していったのです。

近代~巫女禁断令~

明治時代では男権的な国家神道の見地から神道統制が始まり、巫女の存在は疎まれ、近代国家建設を目指す政府に弾圧され、巫女禁断令により巫女は廃れていきます。神霊の憑依による神託という行為が文明開化の妨げになると考えられたのでしょう。

しかし、春日大社などの一部の神社がその神道的存在意義を主張し、巫女舞から憑依神託という要素を取り除き、芸能としての巫女舞に変革して受け継いでいきます

この頃に宮内省楽部により多くの新作の巫女舞が作舞され、祭祀の際に舞を舞うようになっていき、神職の補助的な立場で巫女を雇用する神社も現れ始めるのです。

現代~様々な巫女~

現在でもこの風習が定着し、神社で神職の補助、また神事での神楽舞を奉仕する職業としての巫女が一般化しています

職業としての巫女には資格の必要はなく、また男女雇用機会均等法の適用外となっており、女性を指定しての募集も認められています。

しかし、地方ではイタコやノロといった憑依や口寄せなどの神おろしを行う巫女も存在しており、その神的な能力は現在も残されているのです。

このように、歴史の流れとともに巫女は様々に拡がっていきました。改めて、どんな種類の巫女に派生していったのかを整理します。

 

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巫女の種類

歴史の中で巫女は5種類の形に派生していきました。

  • 朝廷の巫
  • 口寄せ系巫女
  • 渡り巫女
  • 本職巫女
  • 助勤巫女

詳しくみていきましょう。

朝廷の巫(かんなぎ)

巫(かんなぎ)とは、祈祷などにより、その身に神霊を憑依させ神託を得て、人々に伝えることをいいます。邪馬台国の卑弥呼がそうであったように、巫を行う巫女の力は国家の中心となり、その存在は大きかったのです。

口寄せ系巫女と区別され「神社巫女」と呼ばれることもあります

口寄せ系巫女

口寄せとは「死人の口をきく」ことで、地方や、各地を放浪しながら神託や呪術を行なっていました。権力とは距離を置き、その能力で生活していたのです。

当時の巫女はこの口寄せ巫女と神社巫女の2種類に分けられていたようです。

渡り巫女

特定の神社に所属せず、全国各地を廻り、祈祷や勧進をしていた巫女のことです。遊女の一面ももち、芸を披露することで金銭を得て、生活していました。

平安時代以降では巫女の霊的能力の有無が重要性を失い、形としての巫女の存在が増え、様々な巫女が登場した時代と言えるでしょう。

本職巫女

現在の仕事として神社に勤務する巫女のことを指します。神社での雑務や神事の補助、巫女舞の披露などが仕事内容になります。

資格は不要な為、健康な女性ならばなることができます。ただし、神職の娘や近親者など、神社に縁のある人が奉仕することが多く、求人は多いとは言えません。また、本職巫女を採用する神社は大規模神社に限られるので、その道は狭き門と言えるでしょう。巫女として働ける期間も短く、20代後半には定年となる神社も多いようです。

助勤巫女

神社での繁忙期に採用されるアルバイトの巫女。こちらは神社の大小に関わらず、募集が出ることがあります。高校生、大学生の他に神職養成機関の研修、養成として採用されることもあり、本職巫女とは千早の着用などで区別されることもあります。

【まとめ】巫女の歴史とは

最後にまとめです。

古代

  • 古事記、日本書紀に書かれた神話「岩戸隠れ」に登場する「天鈿女(アメノウズメ)」が始まり。
  • 弥生時代に現れたシャーマン(神霊、精霊を憑依させ、神託を伝える)が巫女の起源。

中世

  • 男王政治の時代に入り、政治の中心から排除される。
  • 神社での祭祀で神楽舞などの芸能が行われるようになり、その中心が巫女の舞う巫女舞となる。
  • 巫女の出雲阿国による歌舞伎が生み出され、遊女歌舞伎として人々の生活にも浸透していく。
  • 遊女歌舞伎は扇情的なことから禁止され、野郎歌舞伎へと変化する。

近代

  • 神道統制が始まり、霊的憑依を行う巫女の存在は疎まれ、巫女禁断令が発せられる。
  • 一部の神社が神道的存在意義を主張し、巫女から憑依神託の要素を取り除き、芸能としての巫女舞を確立する。
  • 神社での神事補助としての巫女の雇用も復活する。

現代

  • 職業としての巫女が定着し、本職巫女や助勤巫女といった区分けができる。
  • 少数ではあるが地方では「イタコ」や「ノロ」といった「口寄せ巫女」の文化も残っている。

神話の世界から始まった巫女という存在が政治の中心だった時代を経て、渡り巫女という芸人から今の職業に至るまで、様々な変化を遂げてたどり着いているのです。

神道の歴史は、巫女の歴史と言ってもいいのではないでしょうか。

現在でも神社で祭礼時に巫女による巫女舞は見ることができます。神社での祭礼の際はこのような歴史を感じながら巫女の舞を楽しむとその舞の奥深さが見えてくるかもしれません。まだ見たことがない人はぜひ見にいってみてください。

 

元巫女による舞はこちら