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神道の歴史を深堀り!起源から現代神道に至るまでを簡単解説

神道 歴史 起源

神道は大昔から脈々と受け継がれてきた教えです。日本の宗教とも呼ばれていますが、実際神道の信者だと意識しながら生活をしている人は殆どいないのではないでしょうか。

しかし、それは神道が余りにも日常に溶け込みすぎているだけで、実は殆どの人が神道の教えの中で生きています。

そこで今回は、

  • 神道について
  • 神道の歴史

大きく2つに分けて神道とは何かをご紹介します。

この記事では、神道の歴史が分かると同時に神道の教えがどれだけ私たちの日常の中にあるのかも知ることができますよ。

動画で知りたい方は、分かりやすく解説してくれている動画を最後に紹介していますので、そちらをご覧ください。

 

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神道について

まずは次の4つの項目に分けて「神道とは何か」を簡単におさらいしようと思います。

  • 神道とその定義
  • 神道の起源
  • 信仰の対象
  • 神道で死は扱わない

では見ていきましょう。

神道とその定義

神道の定義は次の通り。

神道(しんとう、しんどう)は、日本の宗教。惟神道(かんながらのみち)ともいう。教典や具体的な教えはなく、開祖もいない。神話、八百万の神、自然や自然現象などにもとづくアニミズム的・祖霊崇拝的な民族宗教である。

自然と神とは一体として認識され、神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた。明治維新より第二次世界大戦終結まで政府によって事実上の国家宗教となった。この時期の神道を指して国家神道と呼ぶ。(引用:Wikipedia

 

神道は日本の民族宗教と定義されます。しかし、キリスト教やイスラム教などのように教典や具体的な教えもなく、開祖もいません。世界から見ても大変珍しい宗教です。

神道の起源

神道は古代日本に自然発生的に生まれた自然信仰です。その歴史は非常に古く、縄文時代を始まりに弥生時代から古墳時代にかけてその原型が形成されたと考えられています。

その頃はまだ神道という概念もなく「聖典」もありませんでした。しかし、暮らしている中で山や火などの自然から農業に使われる道具、米粒の中にまで神様がいるという「八百万の神」の考えが受け入れられ、徐々に祭祀であったり神を祀る場所が作られるようになったといわれています。

信仰の対象

キリスト教やイスラム教のように唯一の神(一神教)を信仰するのではなく、あらゆるものが信仰対象になるのが神道の特徴です。

つまり、「八百万の神」。全てのものに神が宿っているという考えです。枯れ葉や欠けた岩と言った不完全なものに心惹かれるのも、自然を讃え祀るという神道の教えが根本にあるからかもしれません。

神道で死は扱わない

仏教では故人は死後生まれ変わると考えられていますが、神道では「家庭を守り続ける守り神になる」とされています。

また、死に対する概念も異なります。仏教では死を穢れとしないのに対して、神道では穢れと考えられております。仏教であるお寺では葬儀を行ったり墓地が隣接しているのに対し、神道である神社では葬儀を行うことができません。神社に墓地が建てられないのも「死は穢れ」という考えがあるからです。

 

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続いて、神道の歴史についてみていきましょう。

神道の歴史について

次の順番で深く掘り下げていきます。

  • 始まりは「自然信仰」
  • 「日本書紀」と「古事記」
  • 「天照大御神」
  • 「神産み」(イザナギ)と「国産み」(イザナミ)
  • 奈良時代「神仏習合」
  • 鎌倉時代「本地垂迹説」
  • 明治維新「神仏分離令」
  • 明治政府「民間信仰禁止政策」
  • 「国家神道」と解体
  • 現代の神道

それでは見ていきましょう。

始まりは「自然信仰」

神道の起源でもお話しした通り神道は「自然発生的に生まれた自然信仰」です。自然のいたるところに神の存在を感じていたのです。自然崇拝の神にはいくつかの呼び方があります。古代の日本人は自然界の精霊を

  • 「ミ」
  • 「チ」
  • 「タマ」
  • 「ケ」
  • 「ヌシ」

などと呼びました。意味と使い方は次の通り。

  • 「ミ」

自然界の例の中でも特に強い霊、神のような存在を意味します。「山祇・山神(ヤマツミ)」「海神(ワタツミ)」など

  • 「チ」

自然の猛威を表す言葉についています。竜類か伝説上の蛇類または水神である「蛟(ミズチ)」や「大蛇(オロチ)」「雷(イカヅチ)」など

  • 「タマ」

魂・霊と書き、樹木に宿る精霊である「木霊(コダマ)」や「言霊(コトダマ)」など物質や言葉にも魂が宿ると考えられていました。

  • 「ケ」

「怪」と書き、不思議な存在を表す時に用いられます。しかし決して悪いものだけではありません。今現在では妖怪のイメージがあり「物の怪(モノノケ)」などがあります。

  • 「ヌシ」

「主」と書き、場所や物を支配している霊のことを言います。「池の主」という使われ方をしたり、「大物主(オオモノヌシ)」といったように神の名前についていることもあります。

「日本書紀」と「古事記」

8世紀初頭に多くの神々の系譜や物語が収められている『日本書紀』と『古事記』という歴史書が作成されました。この歴史書で初めて「神道」という言葉が記されたため、『日本書紀』と『古事記』は神道の聖典であると考えられています。

「天照大御神」

『日本書紀』や『古事記』に登場する太陽神、農耕神、機織神など多様な神格を持つ「天照大神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)」が日本民族の最高神とされ、天照大御神を祀っている伊勢神宮がすべての神社の中で最高位とされています。

弟の須佐之男命(すさのをのみこと)のひどいいたずらに天照大御神が怒り天岩戸に隠れてしまったため、太陽がなくなり食べ物が育たなくなったり病気になったりしてしまったという「天岩戸の神隠れ」の話で有名です。

「神産み」(イザナギ)と「国産み」(イザナミ)

日本神話によるよ、世界は元々混沌とした液体のような場所だったといわれています。神様が高天原(たかまがはら)から見下ろして「これではいけない」と思った神様たちはイザナギノミコトとイザナミノミコトという神様に天沼矛(あめのぬぼこ)という大きな槍を与え、混沌を激しくかき混ぜました。2人が天沼矛を引き上げると、槍の先からポタポタと落ちた滴がみるみるうちに一つの島が出来上がります。それが日本の始まりです。

イザナギとイザナミは結婚してたくさんの子どもを産み、その子どもたちは現在も日本に無数に存在する島々となっていきました。また子どもたちのうちの何人かは、風や山、あるいは川となったともいわれています。

奈良時代「神仏習合」

日本に元来あった神様の信仰である神道と外国からやってきた仏教の信仰を一つにした宗教の考え方が、奈良時代に作られた「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」です。

この時代に神社への納経や、神社の中にお寺が建てられました。神社の中に建てられたお寺を神宮寺(じんぐうじ)といいます。最も古い代表格が「宇佐八幡宮」です。

鎌倉時代「本地垂迹説」

鎌倉時代には、神様と仏様の関係を説くために、神と仏を調和させる理論的裏付けである「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」が生まれます。「本地垂迹説」とは、八百万の神々は、実は衆生を救済するために仏や菩薩の化身・権現(ごんげん)として現れたとする考え方です。

明治維新「神仏分離令」

明治時代になると日本に西洋の文明がたくさん入ってくるようになります。そこで政府は西洋化を目指そうと日本古来から続く習俗や信仰を「悪弊」「旧習」と呼び、民衆の「迷蒙」を啓くための政策を取りました。

その影響で縮小や途絶した民俗風習も多く、仏教もその影響を受けました。それが新政府が発布した「神仏判然令(神仏分離令)」です。「神仏分離令」とは神道国教化のため神仏習合を禁止し、仏教と神道をそれぞれ独立させることをいいます。具体的には次のような政策が実行されました。

  • 社と寺院を分離してそれぞれ独立させた
  • 神社に奉仕していた僧侶には還俗を命じた
  • 神道の神に仏具を供えることや「御神体」を仏像とすることも禁じた

この政策から仏教を排撃し,神道を極度に重んじようとする過激な廃仏毀釈 (はいぶつきしゃく) 運動が起こりました。

明治政府「民間信仰禁止政策」

神仏分離とともに、修験道や陰陽道の廃止や伝統的習俗などが禁止されました。さらに神社の祭神も古来からまつられていたその土地の神々から『古事記』、『日本書紀』などに著されている皇統譜につながる神々に多くが変更されました。そのため、地域での伝承が途絶え、その神社の古来の祭神が不明になってしまった神社も多くあります。

中でも有名なのが「富士山興法寺」です。

神道と仏教を混合して信仰する修験道は禁止されたことにより、富士山興法寺は村山浅間神社と改められ、村山口登山道も使われなくなりました。富士山世界遺産の構成資産になっている村山浅間神社の境内にある大日堂には、明治時代の廃仏毀釈によって破壊されてしまった大日如来坐像や不動明王立像、役行者像などが現在も残されています。

「国家神道」と解体

明治期に登場した「国家神道」は次のように定義されています。

国家神道(こっかしんとう)は、近代天皇制下の日本において作られた一種の国教制度、あるいは祭祀の形態の歴史学的概念である。皇室の祖先神とされる天照大神を祀る伊勢神宮を全国の神社の頂点に立つ総本山とし、国家が他の神道と区別して管理した「神社神道(じんじゃしんとう)」(神社を中心とする神道)を指す語である。1945年(昭和20年)のGHQによる神道指令において「国家神道」の廃止が命じられており、「国家神道」という言葉はこの時に初めて使用されて広まったものである。(引用:Wikipedia

また教派神道、仏教やキリスト教などの他宗教に関しては国家神道と抵触しない限度内で認め(公認宗教)、1890年(明治23年)に出された「教育勅語」では国民に天皇制国家への忠誠を命じるとともに祖先崇拝を強調し、また各学校へ配布された天皇・皇后の「御真影(ごしんえい)」は、国家神道の事実上の聖像として礼拝の対象となりました。

第二次世界大戦後には、連合軍総司令部(GHQ)による占領政策で天皇を神の化身として崇拝することを禁じる(政教分離)ことを命じられ「国家神道」は解体されてしまいました。

現代の神道

戦後から現在においては、民主主義の憲法のもと日本人は宗教の自由が保障されています。しかし、宗教による事件や歴史教育などの影響で「宗教に対するネガティブイメージ」がついたことから現在では7割の人が無宗教であるという結果が出ています。

とはいえ、自然信仰だった頃の神道「主に神社を中心とした風習としての神道」については、日本人の生活の中で途絶えることなく続いています。

例えば、試験や就職、出産そして子供の成長を願うときなど重要なシーンでは神社に参拝したり、盛り塩を玄関先や家の中に置き起担ぎ、厄除け、魔除けをするなどです。「ご飯は残さず食べること」「悪い言葉を使い続けると悪い人間になる」など幼少期から教えられたことも神道が影響されています。

このように我々が気づかないだけで神道は日常の中に溶け込んでいるのです。

【まとめ】神道とその歴史について

以上まとめに入ります。

神道について

  • 神道は日本の宗教神道。
  • 神道の起源は自然的に生まれた自然信仰。その歴史は非常に古く、縄文時代を始まりに弥生時代から古墳時代にかけてその原型が形成された。
  • 信仰の対象は「八百万の神」つまりは全てのものに神が宿っているという考え。
  • 神道では「死は穢れ」と考えられているため、神社では葬儀を行うことができない。

神道の歴史について

  • 始まりは「自然信仰」で自然のいたるところに神の存在を感じていた。
  • 8世紀初頭に作られた「日本書紀」と「古事記」に初めて神道という言葉が記される。それにより神道の聖典だと考えられるように。
  • 『日本書紀』や『古事記』に登場する「天照大御神」が日本民族の最高神とされ、天照大御神を祀っている伊勢神宮がすべての神社の中で最高位とされた。
  • 「神産み」(イザナギ)と「国産み」(イザナミ)が作った島が日本の始まり。イザナギとイザナミによって生まれた子供たちは無数に存在する島々となって言った。また子どもたちのうちの何人かは、風や山、あるいは川となったともいわれている。
  • 奈良時代に生まれた「神仏習合」とは日本に元来あった神様の信仰である神道と、外国からやってきた仏教の信仰を一つにした宗教の考え方。
  • 鎌倉時代に生まれた「本地垂迹説」とは八百万の神々は、実は衆生を救済するために仏や菩薩の化身として現れたとする考え方。
  • 明治維新に発布された「神仏分離令」とは道国教化のため神仏習合を禁止し、仏教と神道をそれぞれ独立させること。
  • 明治政府が行った「民間信仰禁止政策」では神仏分離とともに、修験道や陰陽道の廃止や伝統的習俗などが禁止すること。さらに神社の祭神も古来からまつられていたその土地の神々から『古事記』、『日本書紀』などに著されている皇統譜につながる神々に多くが変更された。
  • 国民に天皇制国家への忠誠を命じるとともに祖先崇拝を強調した「国家神道」をGHQによって解体された。
  • 現代では7割の人が無宗教であるという結果が出ていますが、今もなお試験や就職、出産そして子供の成長を願うときなど重要なシーンでは神社に参拝するなど神道の教えが日常の中に溶け込んでいる。

今回の神道は歴史が長く難しい、という方にオススメなのが下記動画(オリエンタルラジオの中田敦彦さんのYouTubeチャンネル)。

リズミカルに分かりやすく教えてくれるため楽しく面白く学ぶことができますよ。ぜひ見てみてはいかがでしょうか。