BLOG

東京大神宮の巫女舞は2つある!神前式でしか見られない独自の舞とは

東京大神宮の巫女舞

昨今では主流になっている、神前結婚式にて挙式をあげたことがある方や、参加したことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

実は、現在の神前結婚式は明治33年以降からだと言われています。そして、初めて神前結婚式を始めたのが「東京大神宮」なのです。

今回は縁結びとしても有名な東京大神宮に関して、

  • 東京大神宮の歴史や由来
  • 神前結婚式がなぜ行われるようになったのか
  • 東京大神宮でしか見られない巫女舞とは

深く掘り下げていこうと思います。

明治大正時代に活躍された「有名小説家」も東京大神宮でしか見られない巫女舞の光景に魅了され小説に書いたと言われています。

  • その小説家とは誰なのか
  • その巫女舞とは何なのか

知ることができますよ。

 

東京大神宮の元巫女の舞はこちら

東京大神宮とは?

江戸時代、伊勢国(現在は三重県)にある伊勢神宮へ参拝(お伊勢参り)に行くことは庶民にとっては一生に一度は行きたいという夢でした。ピーク時期ですと一年のうちに約428万人訪れたとも言われています。

そこで、別の場所でも伊勢神宮にて参拝したのと同様の効果を生む建物、遥拝殿(ようはいでん)を明治13年、東京都に創建した結果できたのが「東京大神宮」です。

なぜ遥拝殿が作られたかというと、伊勢から江戸までの距離があまりにも遠すぎたからなのです。

当時は電車も新幹線もなく、人を運ぶ人力車しかなかった時代ですから、主流の移動手段が徒歩でした。

しかし、江戸(現在の東京都)から伊勢神宮まで徒歩で片道15日かかるのです。さらには岩手県からですと100日もかかったというのです。

今実際に歩いてみようと軽々しく言えないほどの距離です。遥拝殿を創建しようと考えるのもうなづけますね。

東京大神宮の御祭神

そんな東京大神宮では神様が4柱祀られています。

<主祭神>

  • 天照皇大神(アマテラススメオオカミ)

内宮の御祭神で、高天原を統べる主宰神

 

<豊穣の女神様>

  • 豊受大神(トヨウケノオオカミ)

外宮(げくう)の御祭神、農業・諸産業・衣食住の守護神

 

<アマテラスにお仕えした絶世の美女神様>

  • 倭比賣命(ヤマトヒメノミコト)

その神様へお参りすると「彼氏ができる、結婚できる」と信じられていることから東京大神宮縁結びの神社と呼ばれるようになった神様の1柱。

 

<造化の三神>

  • 天之御中主神(アメノミナカ ヌシノカミ)

宇宙の根源神

 

  • 高御産巣日神(タカミムスビノカミ)

天の生産・生成の「創造」の神

また「むすび」の男を象徴する神

 

  • 神産巣日神(カミムスビノカミ)

地の生産・生成の「創造」の神。

また「むすび」の女を象徴する神

 

このように縁結びに関連する神様が3柱祀られているため、東京大神宮は「縁結びの神宮」とも呼ばれています。

「東京大神宮」という名前の由来は?

1880年(明治3年)に東京都千代田区にある日比野にて、大隈重信邸跡に建てた「皇大神宮遥拝殿」を地名に由来して「日比野大神宮」と称されました。

しかし1923年(大正12年)におきた関東大震災によって社殿が焼失してしまいます。

震災から5年後の1928年(昭和3年)に飯田橋に再建、遷座され「飯田橋大神宮」と呼ばれるようになり、戦後には名を改め「東京大神宮」となり、現在も多くの参拝客で賑わっています。

様々な人生儀礼

人生儀礼とは、成人や出産、還暦など人生の節目を祝うことを言います。

例えば

  • 七五三
  • 雛祭り
  • 成人式
  • 年祝い(還暦など)

が人生儀礼です。

なぜこのような儀礼が行われるようになったのか、理由は幼児の死亡率の高さにありました。

江戸時代には乳児(0才)、幼児(1-5才)の死亡率は全死亡率の70-75%占めており、裕福な武士家で栄養管理もできる環境であった徳川家斉でさえ、53人の子供のうち約6割にあたる32人が5才までに亡くなってしまうような状況でした。

幼児でさえ生きることが難しい時代に、成人し結婚した子供を見ることが両親にとって神に感謝したいくらいとても嬉しいことだったのです。

もちろん結婚式も人生儀礼の一つです。

「東京のお伊勢様」伝統の神前結婚式

実は昔の結婚式は自宅で行うのが通例でした。

しかし1900年(明治33年)5月10日、明治天皇皇太子(のちの大正天皇)が宮中の歴史において初めて皇居内の賢所(かしとどころ)のご神前で行われたことが始まりに、一般の人々に向けた神前結婚式を創始したのが「東京大神宮」です。

ご神前で結婚式を行うことは市民にとって画期的な出来事に映ったようで、瞬く間に広がりました。

大正元年に発表された夏目漱石の有名な小説『行人』にも

「巫女の左右に入れ交う姿も蝶のように翩々(ひらひら)と華麗(はなやか)に見えた」

というように日々谷大神宮(現在の大神宮)における結婚式での巫女舞の様子が描かれているくらいです。

実は夏目漱石に描かれている「蝶のように翩々と舞う」巫女舞は今もなお東京大神宮の神前結婚式で見ることができます。

その巫女舞の名前はなんなのか、どうして夏目さんは蝶のようにという表現をしたのか実際に解明していきましょう。

 

東京大神宮の元巫女の舞はこちら

東京大神宮の巫女舞とは?

神前結婚式では2つの舞を巫女は踊ります。

  • 豊寿の舞(とよほぎのまい)
    子孫繁栄を願うため、子孫繁栄の象徴である蝶の装束をまとった巫女が舞う巫女舞。東京大神宮オリジナルの舞
  • 豊栄の舞(とよさかのまい)
    新郎新婦の門出を祝して舞う別名「乙女舞」と呼ばれる巫女舞

それぞれ、詳しくみていきましょう。

  • 「豊寿の舞」(とよほぎのまい)

蝶をモチーフにしたデザインの服装を着て舞うのがこの豊寿の舞の特徴なことから、夏目さんはこの「豊寿の舞」を目の前で見たことが伺えます。100年経っても夏目さんが見たこの舞を見られると思うと、実際にどのような舞なのか気になるところですよね。

しかし神前結婚式は名前の通り「神様の前で行う儀式」です。なので、写真撮影や動画撮影は禁止されています。

そのため、残念ながら東京大神宮オリジナルの豊寿の舞は映像が残されていません。またどのような音色なのか、歌詞の内容は何かということも実際に結婚式に参加しなければ分からないのです。

だからこそ舞を目の前で見たときの美しさや神聖さに、生涯忘れられないような特別な結婚式が実現できるのが「東京大神宮」の最大の良さであり、東京大神宮でしか出せない特別さだと感じられます。

 

その傍ら、「豊栄の舞」は東京大神宮オリジナルのものではないため、映像で見ることができます。

また新年初祈祷の時には東京大神宮にて、元旦午前0時から「豊栄の舞」、「人長の舞」、「倭舞」のいずれかを見ることができます。

映像で見るのと、間近で見るのは空気感も美しさも何もかも違います。間近で見るチャンスがある舞ですので、見に行ってみてはいかがでしょうか。

また神前結婚式を挙げてみたいという方には、東京大神宮サイトに実際にどのような進行で行われるか詳しく載っていますので、見てみるのも良いでしょう。

【まとめ】東京大神宮の巫女舞とは?

東京大神宮の歴史

  • 別の場所でも伊勢神宮にて参拝したのと同様の効果を生む建物、遥拝殿(ようはいでん)を明治13年に東京都にて創建されたのが「東京大神宮」
  • 遥拝殿が建てられた理由は、伊勢から江戸までの距離が片道15日かかるほど遠いため

御祭神

  • 東京大神宮では、神様が4柱祀られている
  • 主祭神は、天照皇大神(アマテラススメオオカミ)
  • 豊穣の女神様である豊受大神(トヨウケノオオカミ)
  • アマテラスにお仕えした絶世の美女神様である倭比賣命(ヤマトヒメノミコト)は、縁結びの神様と呼ばれる
  • 造化の三神は、天之御中主神(アメノミナカ ヌシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カミムスビノカミ)

神前結婚式

  • 昔の結婚式は自宅で行うのが通例。1900年(明治33年)5月10日、明治天皇皇太子(のちの大正天皇)が初めて皇居内の賢所(かしとどころ)のご神前で行ったことがきっかけで、東京大神宮は一般向けの神前結婚式を行ったのが始まり

東京大神宮の神前結婚式で行われる巫女舞

  • 豊栄の舞(とよさかのまい)と豊寿の舞(とよほぎのまい)2つ
  • 豊寿の舞(とよほぎのまい)は東京大神宮オリジナルの巫女舞。結婚式では撮影禁止のため実際に挙式でしか見ることができない

100年経ってもなお変わらずある巫女舞は、人々を魅了しながらも「子供が長生きしますように」という親の願いも込められていたのですね。昨今は人生儀礼をしない家庭も増えていると言います。それは長い年月をかけて「子供が長生きしますように」という親の願いが叶い始めているからとも言えるのかもしれませんね。

 

東京大神宮の元巫女の舞はこちら